マルク州のなかでもケイ諸島以南の地域を南東マルク Maluku Tenggara という。この南東マルクのなかで、タニンバル諸島とティモール島のあいだにはさまれた海域は地元の人びとにテンガラ・ジャウーと呼ばれていた(Maluku Tenggara Jauh 遠南東マルク。2000年に南東マルク県から独立して西部南東マルク県 Kab. Maluku Tenggara Baratとなった。県庁はタニンバル島のSaumlaki)。
テンガラ・ジャウーの島々には飛行機の便がなかった(いまはキサール島に行く便があるのか??)。島の公務員に配給する米やその他の物資を運搬するために、月に2度のペースで島々のあいだを船がまわっており、この輸送船が乗客もはこぶ。もっとも、島を巡回する航路が毎回逆転するので、ある島からつぎの島へ移動しようとすると1ヶ月待たねばならない。1986年当時、レティ島にわたるためには、小ケイ島でこの船をつかまえてから、丸4日間の、お世辞にも快適とはいえない船旅を経ねばならなかった。
テンガラ・ジャウーの社会についてほとんど知られていないのも(調査報告は皆無にちかい)、こうしたアクセスの困難さに起因するのではないかとおもう。そのいっぽうで、小さな離島にありがちなことだが、外来文化の影響を受けやすく、文化の保持力はひくい。レティもまた例外でなく、キリスト教の布教により家屋内でおこなわれていたはずの祖霊祭祀は、私の調査時点でもはやうしなわれていた。また、山間にあった本来の集落立地を海岸近くに移動させる政策のせいで、伝統的な建物の多くは姿を消していた。
ティモール島の東方に位置するレティは3つの島からなる諸島で、西から順に、丘陵地帯のひろがるレティ Leti 島、島の中央に低い山をもつ牧歌的な雰囲気のモア Moa 島、そして平板なラコール Lakor 島とひとつながりにつづいている。言語的にみると全諸島にわたってLuang語が話されている。
field note
ルアンはレティ諸島のさらに東にある島の名で、テンガラ・ジャウーの島々にはルアン島を起源地とする住人が多くいる。衛星写真 をみるとわかるが、ルアン島はセルマタ Sermata 島の西に浮かぶ小島で、海中に没した大きな島影を確認することができる。島が水没する記録はケイ諸島にもあるから、あるいは同じような歴史があったのかもしれない。
建築様式の点から言うと、レティ島とモア島には同一の家屋形式がひろまっていた。これにもっともちかいの家屋をあげるとすれば、西隣りのキサール島
が類似する。ババール Babar 島より東の島々とは異質な、インドネシアの他のどの地域にもない独特の家屋形式と言えようか(ルアン、セルマタ、ウェタール Wetar、ロマ Roma、ダマール Damarの各島にかんする情報がない)。ただし、その建築のベースにある思想は、オーストロネシア語族のなかでもヘスペロネシア(西方語派)と呼ばれる東南アジア島嶼部の建築に通底するものである。じつは、レティ諸島やキサール島にみられる家屋の祖型ともいえる形式が観光地として名高いバリ島
の建築には脈々と受け継がれている。
レティ島の家屋はオモテ uo:-ne を東 tipru、ウラ tukra を西 varta に向けた切妻屋根の建物である。東西の妻側に庇が取り付いた入母屋風の外観をしている。

Leti has two main cardinal directions, East and West, respectively 'tipru' and 'varta'. South has a separate lexeme: tranna. There is no word for 'North'. On the north-coast 'North' is indicated by 'seaward' (liora); on the south-side of the island 'land-ward' (riaa) is used instead. In the lingua franca the Malay terms, also the one meaning 'North' is used. [Aone van Engelenhoven]
| Watpipi (Tutukey) |
Darwuru (Tutukey) |
Waewawan (Tutukey) |
Letwatu (Tutukey) |
Tunmati (Tutukey) |
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| 1910年代 | もっとも古い | 1940年代 | 1927年 | |
| 柱+棟束 | 棟持柱(通し柱) | 柱+棟束 | 棟持柱(通し柱) | 棟持柱(通し柱) |
| 2本の床梁は構造と一体化。 | 神聖な2本の床梁とそれを支える4本の支柱。 土間にpisku。 |
室内間仕切り。 南北に出入口。 西向き正面。 |
南北に出入口。 高床構造は天井へ。 |
| Rehiyara (Nuwewan) |
Hurliyali noname (Nuwewan) |
Rumlawne (Nuwewan) |
Prilulu (Klis, Moa) |
Reiwutu (Poliwu, Moa) |
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| ???? | 1920年代 | ???? | 1947年 | ???? |
| 棟持柱(通し柱) | 棟束のみ | 棟束のみ | 棟持柱(通し柱) | 柱+扠首? |
| 神聖な2本の床梁をもつが、支柱がない。 土間にpisku。 |
北に出入口。 noname家は家屋正面のベランダを欠く。 |
1920年代の2棟(左)、モア島の家屋(右)と基本構成は一緒。 建築構造は整備。 |
北に出入口。 | 北に出入口。 家屋の基本構成はPrilulu家(左)とおなじ。 |
レティ島、モア島にのこる古い家屋の構造をくらべてみると、建築構造が合理的に整備されていく様子がわかって興味ぶかい。それは同時に、伝統的な慣習に則った手続きをうしなってゆく過程でもあるのだが。
Ⅰ 高床構造の基本は、横板を井桁に組んでできた壁体を前後2本の大梁で支えるもの。

もっとも原型をのこすと考えられるDarwuru家やRehiyara家では、この高床構造は床のレベルの異なる3層構成にさらに前後に張り出した床(棚)をもつ構成になっている。3層構成の高床構造はサダン・トラジャ族の家屋などでもお馴染みの形式だが、レティ島の家屋では前後の部屋(屋根裏)が退化して張り出しを残すだけになっている。この張り出し部分をもつことが、レティ島の家屋を船型屋根にむすびつける建築構造上の大きな特色といってよい。スマトラ島のアチェの家屋に見られる屋根の張り出しにも通ずる、妻転び屋根の変化形である。
Darwuru家では、床の中央部分をさらに2本の梁ssire ewteで支え、この梁を受けるために桁行き方向に2本の特別な梁ssire lawneをわたして柱で支えている。また、棟木を支える柱は高床を貫いて地上まで達し棟持柱nyutuとなっている。棟木、大梁、梁などの水平材はそれぞれ個別の柱を地上に立てて支えていることになる。柱を複数の用途に使用しないような観念(技術者の常識)がおそらくあったのではないかとおもう。
Rehiyara家には、特別な梁ssire lawneを支えるための柱がなく、そのせいで、その上の(本来は支えるべき)梁に結びつけて固定されている。これでは構造材としての意味をなさないから、本来あった柱を後から撤去してしまったのではないかとおもう。

Ⅱ 地上の柱を減らすことが建築の合理化にひとつのベクトルを与えていたようだ。3層構成の高床構造は、中間部の柱梁を省略して、1層の高床に前後の張り出し床(棚)をもつ形式に変化する。Letwatu家やTunmati家、モア島のPrilulu家などがこの段階にあたる。



Ⅲ さらにWatpipi家やWaewawan家、モア島のReiwutu家では、地上から立ちあがっていた棟持柱が地上部分と高床上(梁上)に乗る棟束のふたつに分離されている。一見何でもないようなこの変化は、建設過程の上ではまったく異なる別の構造原理に生まれ変わったことを意味している。
棟持柱のある建物では、高床構造よりも前に棟持柱を建て、屋根の一部を建設しておかねばならない。屋根構造と高床構造は本来分離していたのである。これはレティ島の家屋の成立事情を物語るものだろう。レティ島の家屋は、おそらく土間式の建物だったのに、後から高床構造を取り込むかたちで成立した。屋根の扠首slok'reを途中で継ぐ理由も、そう考えるとよくわかる。棟持柱がなくなることで、本来ふたつの出自をもっていたレティ島の建築は、純粋に高床構造の建物として統合されたことになる。

Ⅳ 地上の柱をなくすことは、残存していた棟持柱の一部にもおよぶ。こうしてRumlawne家では高床を支える4本柱のきれいなラーメン構造ができあがる。

Ⅴ 高床部分が儀礼上の意味をうしなうことで建築構造はさらに変化をとげる。Hurliyali家では様式的な高床部分がなくなり、床板を全面にはることで高床空間を天井裏化してしまう。ふたたび土間式の建物へと脱皮を遂げたわけである。


























7,500 (1995 SIL). Marginal intelligibility with Luang. They have difficulty with written Luang. 89% lexical similarity with Luang. They share a historical and cultural heritage with Luang, but maintain their own identity and local pride. Matrilineal. Literacy rate in first language: Below 1%. Literacy rate in second language: 25% to 50%. Christian.
Ethnologue
The hillocks are cover generally partially with alang-alang (reed) and partially forest. The lower hillocks in the east have been overgrown with eucalyptus trees and sometimes with lontar palms. Most of the grazing lands lie on the south side of the island.
MauTeri
'Front' (uo:-ne) and 'back' (tukra) are linked to 'East' (Tipru) and 'West' (Varta), respectively. The front of the traditional Leti house (the main entrance) faces the East. Most islands in SW Maluku have a front-side facing the East. These landmarks are confined to islands belonging to the same Alliance (all islands except for Wetar, Damar and the islands East of Babar). Outside this region, the East-West axis = front-back axis is no longer used. In a noncoastal environment Letinese use the left-right axis, rather than seaward-land-ward
Deixis Workshop
'House founder'
Although they belonged to the 'later ancestors' on all the islands there were descendants of founding ancestors who acted at a lower level as 'founders' and for this reason after their death they were portrayed in a special manner. Examples of this are sculptures from Leti which represent the founders of families who once shared a house. The ancestor figures - often beautifully worked - were placed on pillars.
RMV




Bulols





Plant Cultures



サヴ島 | Savu 




kayu putih



