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ティモール島は東インドネシア最大の島(面積30777km2 九州よりやや小さい)であるが、乾燥した気候のためにけっして豊かな土地とはいえない。そんな島が、17世紀以来、ポルトガルとオランダによる支配をうけ、いまも島を東西に分断して独立問題を引きずっている(2002年に東ティモールはインドネシアから独立)。理由のひとつは、この島に産する白檀が莫大な利益をもたらしたことにある。
14世紀、元代の航海家、汪大淵のあらわした『島夷誌略』の「古里地悶」はティモール島をさすとみられる。それによると、山にはただ檀樹ばかりがあって、銀鉄碗、西洋絲布、色絹などをもちいて交易したとある。ただし、この島との万倍の利益を生むものの、それは命と引き替えであって、むかし、泉州の呉宅という者が百人あまりの船でこの島に向かい、交易を終えたときには10人中8、9人が死亡、のこった1、2人も多くは病気になっていたとある。
居加羅之東北,居山無異木,唯檀樹為最盛。以銀、鐵、碗、西洋絲布、色絹之屬為之貿易也。地謂之馬頭,凡十有二所。有酋長。田宜穀粟。。。。昔泉之吳宅,發舶梢衆百有餘人,到彼貿易,旣畢,死者十八九,間存一二,而多羸弱乏力,駕舟隨風回舶。或時風恬浪息,黃昏之際,則狂魂蕩唱,歌舞不已。夜則添炬輝燿,使人魂逝而膽寒。吁!良可畏哉!然則其地雖使有萬倍之利何益!(『島夷誌略』古里地悶)アトニ(アトニは「人」を意味するダワン語であり、現地にはアトニ族という表現はない)はベル県を除く西ティモールの中心的な民族である。ダワン語はマレーポリネシア語族に含まれるが、アトニ人の形質はパプア系に近いともいわれる。
家屋 ウメ Ume アトニでは家屋 Ume の所有は核家族単位でなされる。男は結婚後、自分の村に新しい家屋を建設するまでのあいだ妻の両親と暮らすのである。
ウメ Ume は直径3~5メートルほどの円錐形の建物で、地上まで屋根が葺きおろされているため、屋根を伏せた小屋のようにみえる。実際には、1メートルほどの高さの壁が周囲をめぐっている。この屋根組を支えるために、家のなかには4本柱の柱梁構造が組まれている。
まず、先端の枝分かれした4本の主柱を掘立てにする。主柱は、頂部がY字形に枝分かれした材をもちいることが多く、そのうえに大梁 suif をのせて柱間をつなぐ。つぎに、大梁 suif と直行して4~6本の小梁 nonof をわたして軸組を固定する。さらに、nonof の上に suif と同じ向きに6~8本の小梁 tunis をのせて屋根裏の床根太を構成する(用語は地方によって若干相違する)。 tunis の中央には横木がわたされ、その上に棟束の足元を柄差しにして屋根の棟を支えている。
屋根の棟の方向に対して、入口の位置は地方によってまちまちであり、旧アマヌバン王国の領地では suif に面する位置に設けるが、モロやミオマフォ王国では nonof に面している。
棟の納まりにも相違がある。棟束の頂部が枝分かれして先端に短い棟木をもつ形式と、棟木をまったくもたずに、屋根の垂木を棟束のまわりに寄せ集められるだけの形式がある。こうした違いは各出自集団に固有のものと言われる。棟木をもたないのは原住民であるニス・メタン(黒い歯)の子孫、一方の棟木を持つ形式は征服民ニス・ムティ(白い歯)の子孫とも語られている。
屋根を形作る垂木やもやには、チェマラ Cemara [Casuarina eqnisetifolia] の小枝やビンロウの幹、トウなどの靭性にすぐれた材料を使い、そのうえをチガヤで覆っている。
屋内は四本柱の中央に三つ石の炉があり、奥の壁にそって調理道具や食器を置くための棚がつくられている。左右の壁際には、主人夫婦の寝所として低いベッドがもうけられている。
穀倉 ロポ Lopo アトニではロポとウメはハレとケの好一対をなす。高床のロポは収穫物や家宝の貯蔵庫であったが、同時に、床下を集会場や特別な来客の接待場に使った。しかし、現在の主食であるトーモロコシは穀倉での保存には適さない。たいていは虫がつかないように、炉の煙りでいつも燻し出される家屋の屋根裏に吊すか、灰と混ぜてドラムカンに保存する。米はインドネシア全体で品種改良が進み、穂刈りできなくなったため、収穫時に脱穀してそのまま米俵に入れてしまう。アトニだけの問題ではないが、穀倉はどこでも中はからっぽで機能を失い、維持されることも稀だ。
かってニキニキ王国には高さ8.5メートル、直径8メートルの巨大な吊鐘型のロポがあったと報告されている。それも修復されぬまま1980年代初頭に柱を残して倒壊してしまった。柱にささった石板の鼠返しには蜥蜴、鰐、馬、鳥などの彩色画が残されていて、ロポ建設に費やされたエネルギーの大きさを感じることができる。
ロポは本来王(ロロ、オランダ時代以後はスワプ・ラジャ)や貴族(ウシフやフェトル。儀礼を司る王に対して、実際の統治をおこなう)だけしか所有できなかった。その建設には彼らの支配する親族集団の首長(アマフ)たちがたずさわった。このような王族のロポでは垂木の数は支配下にあるアマフの数を、また、彫刻と彩色を施された特別な垂木はフェトルの数を表わしたという。王の偉大さはロポに使われた垂木の本数、つまり建物の規模で示されるのである。儀礼的な集会がもたれる場合には、ロポの基壇上にラジャとフェトルたちが、基壇下のそれぞれ垂木に対応する位置にアマフたちが腰をおろすのである。
高床建築であるロポの構造は、主柱の頭部に鼠返しを持つ点をのぞけば、地床の家屋ウメの構造と基本的に変わらない。
儀礼家屋 ウメ・レウ Ume Leu 戦闘儀礼や穀物儀礼の舞台となるウメ・レウ(神聖な家)は、また、親族集団の中心家屋とか戦闘の家ともよばれる。外観は一般の家屋とかわらないが、屋内に入るとその様子はまったく違う。四本柱のかわりに屋根を支えるのは家屋中央に立つ一本の中心柱であり、天井はつくられていない。この神聖な柱ニ・アイナフ(母柱)には祖先伝来の様々な神器の類、剣、槍、火打銃、ゴング、シリー(ビンロウジを噛む時にこの葉や実を一緒に口に含む)入れ、薬草、赤い布(戦いの際に頭に巻く)やトーモロコシの初穂などがかけられ、柱の足元には円形に石積みの祭壇が築かれている。
大規模なウメ・レウのなかには、中心柱の他に四本柱の軸組構造をもつ家屋ウメとの折衷形式もある。一般にこのようなウメ・レウの前には、アトニの天上神ウイス・ネノを象徴する二本の柱ハウ・モネフ(男の木)とハウ・テス(心の木)が立てられている。これは、祖霊ニトゥ(同時に地霊)を象徴する中心柱ニ・アイナフ(母柱)とともにアトニ社会における信仰の三位一体をなすといわれる。供犠儀礼はこのそれぞれに捧げられるのである。
王宮 ソナフ Sonaf ウメ・レウのうちでも巨大なもの(多くはフェトル以上が所有する)はソナフの名でよばれる。建物を拡張するために、円形平面は失われ楕円形の平面構成をとる例が多い。こうなると中心柱だけではもはや屋根をささえられず、二本の棟持柱を立てて棟木をのせている。そのため、ニ・アイナフ(母柱)がになっていた柱のシンボリズムは内奥側の棟持柱が担うことになる。
































































The name "Atoni" means "man, person" and is short for "Atoin Pah Meto" (People of the Dry Land) or "Atoin Meto" (Dry People) ("Atoin" being "Atoni" in metathesis). Europeans called them "Timorese," and Indonesians of Kupang may refer to them as "Orang Timor Asli" (Native Timorese) in contrast to immigrant Rotinese, Savunese, and other settlers around Kupang who come from nearby islands.
World Culture Encyclopedia
The Atoni (also known as the Atoin Meto or the Dawan) are an ethnic group on Timor, in Indonesian West Timor and the East Timorese enclave of Oecussi-Ambeno. They number around 600,000.
Wikipedia
Uab Meto : 586,000. Western Timor Island. Alternate names: Atoni, Meto, Uab Atoni Pah Meto, Uab Pah Meto, Timor, Timorese, Timol, Timoreesch, Timoreezen, "Dawan", "Timor Dawan", "Rawan", Orang Gunung. Dialects: Amfoan-Fatule'u-Amabi (Amfoan, Amfuang, Fatule'u, Amabi), Amanuban-Amanatun (Amanuban, Amanubang, Amanatun), Mollo-Miomafo (Mollo, Miomafo), Biboki-Insana (Biboki, Insanao), Kusa-Manlea (Kusa, Manlea). Much dialect variation. Ethnological and linguistic differences in nearly every valley. Close to Amarasi.
Ethnologue
The Atoni Pah Meto of West Timor
The first Europeans in Timor were the Portuguese, perhaps as early as 1509. Portuguese trading ships regularly visited the north coast in search of sandalwood. It wasn't until 1568 that Dutch traders first arrived in Timor.....
Facts About Timor
明代の『順風相送』にはティモール島の12の港が記載されている。
丙午更半取單戎武岩。山頭邊看是鵝角樣嘴頭,開有嶼,流水甚急。出門外用乙辰三更取髻仔山,山尖似髻様。對開南邊有見巡巴山港口亦出香。前去見雲螺二大小山,用乙卯針八更見蘇律門,乃是佛郎所住之處,在左邊,右邊是池汶山 Timor 。用甲卯五更収山,不可高低。大山尖下是居邦 Kupang ,欲収北面港口是息里尖,對開有一嶼使進是老虎,使過是美膋港 Mena ,此是王居之地,出香甚多。過是啞森,前有一石頭白,過是吧哪吉知,過是六圭,又過是匏笨出蚋之處。欲収南山之門,従居邦面前對南山門,出見一白石頭是吧哪匏滴,過是脩脩,過是啞媽魯班 Amanuban ,此處出香多,過是柯東央,過是匏洛,過是西寧,俱是一灣頭內,卽是港門。但欲収南山,流水甚急,俱是挨洋東南起早難抛船。此一針路詳考無差。美膋港門亦有淡水,港頭隴是灣,兩邊是老古,佛郎亦居此港。對面是魚油山、麻力汝沙山曁一連是食人山,天山明亮見之。(『順風相送』池汶)

