生を活かすことを生活という
なんとも不思議な言葉だ。
人間の営みに必要な衣・食・住でさえ、いまや巷のコンビニでいとも容易く手にはいる。
住宅さえも商品目録に載るご時世だから
けれども、商品はもって生まれた自身の歴史を可視化する手立てをもたない。
手触りのよい物たちに囲まれた生活は生きることのリアリズムを失わせはしないだろうか?
根無し草のような人生に心の渇きをおぼえたりはしないだろうか?
八百屋の店先に積まれた大根にしろ、肉屋のショーケースにならぶ肉の山にしろ、
何食わぬ顔をしてそこに鎮座する奴らの裏にはとてつもない事件が隠されているはずだ。
身の回りのありふれた物どもの、それを成り立たせる背景を知らしめること。
デザインするとはぼくらの存在に形をあたえる作業
elementsと銘打った彼らの活動の本質は、世の中の事物の根源に対する問いかけだ。
STACK AND BIND
経験を重ね、知識を束ね、ぼくらの生活をたぐりよせるために!
ある種の昆虫や鳥のなかにはみごとな巣作りの才能を発揮する者たちがいる。その造形感覚たるやまさに芸術品。もっとも、その作者にしてみれば、ただ本能にしたがい日々のいとなみを繰り返しているだけのことだ。
人間の家づくりは本能とはいえないが、かつての民族社会はしばしば度肝を抜く造形で私たちの住宅観を一蹴してくれた。 ひとりの天才ではなく、みんなで創ったデザインとでも言おうか。快適に住むなどという現代家庭のささやかな常識は歯が立たない。 なにが彼らをそうさせたのか?といえば、そこに人生の意味があったからだとしか答えようがない。みずからのよってたつ自然のなかでみずからの存在を紡ぐ。快適な都市生活に慣れた者には鬱陶しいだけの話かもしれない。それでも、日々の生活そのものに生きている実感は充ち充ちていた。
アートの本質は私の存在とは何かを教えてくれることにある。現代社会では、家も衣服も食べ物も、アートでさえ商品として手にはいってしまう。人生の痕跡をのこすせっかくのチャンスを私たちはみすみす失ってきたのではないかとおもう。
2009/10/25約束の時間を3時間あまりすぎてからようやくふたりはやってきた。数日前の台風でちかくの公園の大木がばたばたとたおれていた。その光景があまりに感動的で立ち去ることができなかったと、眼をかがやかせながら初対面のふたりは説明してくれた。生意気とはじめて会ったときのことだ。幼稚園に行く道すがら、ダンゴムシ(手をふれると団子のように丸くなるアルマジロみたいな虫を知ってる?)をつかまえるのに夢中になって門の外に閉め出されてしまった記憶がふとよみがえった。子供の頃には周囲の世界はいまよりずっとドラマチックに時をきざんでいた。日々の生活に追われて、いまは気に留めることすらなくなってしまったたくさんの物事がいつも身の回りでざわめいていた。
生意気の作品は、何気なくすごしていたぼくらの日常が冒険にみちたものであったことを思い出させてくれる。そのために美術界の高邁な理想や壮大な装備は必要ない。生意気御用達の品々はどこにでもあるありふれた物ばかり。百円ショップや骨董品屋の店先が手軽な作品ストックにはやがわり。草むらにボールをふたつならべるだけで世界はたちまち彼らの手のなかにある。エリンギが目玉をつけてお喋りをはじめ、コンドームのロボットがのたうちまわるといった具合。そんなに背伸びをしなくても、生意気になるチャンスはだれにでもひらかれている。
だけど、くれぐれも誤解なく。生意気は愛らしい美術作品を生産しつづけるだけの職能アーティストじゃない。生意気はいつも真剣に彼らを彼らたらしめている世界そのものととりくんでいる。その生活、その生き様の延長に、たまたま作品は結晶するだけだ。それが生意気作品のゆるがぬ存在感。その諧謔におもわず笑みをうかべたときには、すでに生意気の術中にはまっている。あたりまえの物があたりまえでなくなる瞬間、いや、本来の価値を発揮する瞬間に、ぼくらは呼び戻される。それは、ぼくらが知らず知らずのうちにどっぷりとつかってきた世界の枠組そのものをつきうごかすはずだ。いつのまにぼくらは、箒が箒でしかなく、塵取りが塵取りでしかなく、そして、ぼくはこのぼくでしかない世界の住人であると思いこまされてしまったのだろう。もっと自分らしく。ぼくらの心にひそむ生意気に彼らは語りかける。そうすれば、きみのまわりで世界はたちまちゆたかな時をきざみはじめるはずだ。
2005/09/20
grafとの出会いは、服部さんとのトークショーに誘われたこと。
ちょうど、ソウルに住むある家族の家財道具一切合切をもらいうけて展示するという前代未聞の企画がおわったばかりの頃で、服部さんの住処をみせてくれるなら、という条件で引き受けたのだ。人を知りたければ持ち物をしらべるのが一番、などと当時の私は吹聴していたから。
だけど、ふるいガレージの2階にある住処を訪問して、あまりのコキタナさ、いや、潔さに心をうたれてしまった。畳も天井も無惨にはがされた部屋の片隅に万年床、カーテンレールに突きたてた棒から無造作に洗濯物がぶらさがっていた。
このトークショーが縁で、つい先日終了した特別展では企画の段階から豊嶋さんに参加してもらった。おかげで珍しいキノコ舞踊団や生意気にも協力してもらうことができた。grafの物づくりの原点は、私たちの生きた時間をうけとめてくれるタフな存在感にあるとみているのだが、キノコも生意気も、みんな自分たちの足下を見据えて活動している。先日も、キノコの公演写真を整理していて、メンバーそれぞれが勝手気ままな動きをしているようなのに、一瞬一瞬がみごとな絵になっていることを発見しておどろいた。そうか、私たちの日常の所作はこんなにも美しかった!
たったそれだけの発見が、何気なく流れていた私のまわりの時間をめざめさせてくれる。しかも、その美しさは、他の人びととのおりなす活動のなかで、はじめてきわだつものだったのだ。
民家の調査などをしている仕事柄、歴史的な建築物の保存運動には多少なりとも関心がある。だけど、建物の保存に失敗したあとから、本当の保存計画がはじまるなどといえば、いままでの保存運動はいったい何を目標にしてきたのかと疑問におもう。
文化財を保存し、その活用を図り、もつて国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献する。1949年、法隆寺の金堂が焼けたのをきっかけにできた文化財保護法は、気高い志を文面にみなぎらせている。そうして、建物はのこり、観光資源や博物館になったとして、それでも癒されない心の渇きがある。
文化財がどうなろうと、ユネスコが世界文化遺産を指定しようと、ぼくらの人生がそれですくわれるわけではない。個人の人生などは文化財保存の眼中にはないからだ。
どんなに慣れ親しんだ家でも、現代住宅は一世代もたずにこわされてゆく。資産としてみれば、日本の木造住宅はわずか20年で減価償却してしまう。使えば使うほど、思い出が刻まれれば刻まれるほど、ぼくらの身の回りの物は消費され、社会的な価値をうしなう仕組みになっている。まるで、きみの人生は物を台無しにするだけの無意味なものだと宣告されているようではないか。年寄りにとってかけがえのない宝物も、子どもたちにはゴミでしかないかもしれない。だけど、家の記憶、物の記憶が個人に収斂してしまうのは、ぼくらの人生が他にかえがたい個性的なものでもある証拠だ。
建築物ウクレレ化保存計画がめざしているのは、建築をのこすといういとなみのもっとも根幹にある肝心なこと、建物にきざまれたぼくらの人生をすくいあげる試みだとおもう。
壊される家を楽器にしてしまう。それもことさらむずかしい楽器ではなく、誰でも手にとってすぐに音がでるウクレレだなんて!
家の思い出がウクレレのしらべにのってながれてゆく。こんな詩的な解決策があることを文化財関係者は知っているだろうか?
本当は、自分の生まれ育った環境が変わらずにのこり、生きてきた痕跡が刻みこまれたまま、建物も受け継がれていけばよいに決まっている。だけど、ぼくらの時代は家をまもるためにばかげたエネルギーをついやすことをやめてしまった。家族は家の内部のちいさな力しかもたなくなった。自分の住んだ家が将来どうなるかさえ誰も予測しようがない。
だから、ぼくはささやかな夢をみる。日本中の家という家がウクレレと化して音楽をかなでる夢を。文字がなかった時代の語り部のように、ぼくらの時代のレクイエムをかなでるのだ。
2004-09-21