月刊みんぱく 21-10 1997年10月 pp.12〜13

バジャウの家船



杭上住居
■波のおだやかな海岸や河口をえらんで杭上家屋をたて、家々をつなぐ歩廊をめぐらして水上集落を形成する。

町の家船
■バジャウの家船にはその規模と形式によっていくつかの呼び名がある。舳先のとびだした独特の形をした家船はレパとよばれ、華麗な彫刻で飾られたレパをつくることができるのは、特別な資格をもつ船大工にかぎられている。

家船内部
■バジャウの一生は船の上ではじまり船の上でおわる。夫婦と未婚の子どもたちの全生活が小さな家船の空間には凝縮されているのである。家船の中央には寝床のマットを敷き、赤ん坊のための揺りかごを吊るす。

家船船尾外観
■船尾には竈と水甕がおかれ、食事の支度や海産物の加工がここでおこなわれる。海産物に依存するバジャウの食生活のなかで、主要なデンプン源であるキャッサバは、市場の交易などで手に入れ、生のまま蒸したり、乾燥したものをすりおろして料理につかう。

家船船首外観
■船尾が調理場であるのにたいして、船首は漁撈のための空間である。男たちはつきだした舳先に陣取って、刺網をしかけたり、ながいヤスをかまえてナマコなどの獲物をねらう。

 人間のつくりあげる住まいをみていると、わざわざ住むに耐えないような劣悪な環境にまでどうして好きこのんで住まいをかまえているのか不思議におもうことがある。風土に適応したみごとな住まい、といってみればなるほどそうなのだが、住まいさえなければ、あえてこんな無謀はおかさなかっただろうし、そのために子孫が余計な苦労を背負いこむことにもならなかったろうに、とおもうのである。
 まちがいなくバジャウの家船はそうした住まいのひとつにあげられるだろう。マレー半島からインドネシア、フィリピンにいたる波のおだやかな海域には、マレー語でオラン・ラウト、つまり「海の人」とよばれる漁民がいる。彼らは、海岸線に杭上家屋の集落をきずいたり、家船を住まいとして漁撈や小規模の交易で日々の生計をたてている。バジャウもそうしたいわゆる漂海民のなかまで、ボルネオ島北岸からフィリピンのスルー諸島にかけて、家船ごとにいくつかの停泊地をさだめ、一定の範囲内を移動しながら海上生活をおくっている。
 大地に根をはって生きようとする、われわれのなかに埋めこまれた定住農耕民的な信念は相当に根強いものがあって、住所もさだめずにあちこち移動しているのは社会の常識をはずれたアウトローと相場がきまっている。それでなくとも、生まれてから死ぬまでの一生を、来る日も来る日も小さく不安定な家船の空間で、家族と向きあってすごさねばならないとかんがえただけで、たいていの日本人は尻ごみしたくなるにちがいない。現代社会では家族の危機が叫ばれたりするが、バジャウの家船を目の前にして、そこでいとなまれる家族生活の圧倒的な存在感を引きうけるのは並大抵の覚悟ではできないことに気づかされる。
 「住宅は住むための機械である」という近代建築のマニフェストで知られる建築家のコルビュジエは、住宅を大地から切りはなすために、わざわざ建物をピロティのうえにのせることをこころみている。そうした近代建築運動のおかげで、われわれが現在手にしている住宅は、慣習や歴史のながいしがらみからも解きはなたれた私的生活の器になり得たのである。ところが、土地問題で雁字がらめになっている現代の住環境からすれば夢のような話だが、家船にははじめから土地による束縛がない。地表の七割をしめる広大な海の世界に所有権を主張するでもなく、家船はやすやすとその空間をわがものにしている。
 家船がすぐれて近代的なのは、その社会がみずからの行動について自律的な決定権をもつ核家族を基本単位にしていることである。家船の生活は、徹底的な男女の分業によってはじめて成りたっている。男性は漁撈をおこない、船や船具の手入れをする。女性は浜辺で薪や食料をあつめ調理をうけもつ。どちらが欠けてもたちまち船上生活はなりたたなくなるから、適齢期の男女、それに伴侶に先立たれた男女は、すみやかに結婚するばあいが多い。そして、このきわめて民主的な社会単位を物理的な空間のうえで保証しているのが、富んだ者も貧しい者もゆるさない平等な家船の構造なのである。家船集落は、こうした居住ユニットが離合集散を繰りかえすことによって、任意の場所で、そのときどきの共同体から生みだされる。まさに近代建築がめざして果たし得なかった建築や都市の理想がそこには展開されている。
 住むための機械といえるほど住む目的だけに機能をそぎ落とし、執拗なまでに生活のリアリティを主張する家船のなかに、人類の住まいの未来が託されているのかもしれないと夢想してみることはたのしい。劣悪な居住環境のなかで苦労しているのは、はたして家船の住民のほうなのか、それとも、あまりにも住むことと無縁な次元で住宅戦争をたたかわされている民族のほうなのか、じつのところわたしには判然としないのである。

1997-09-02 (Tue) 03:57