TOKK 277号 1995年5月 p.46

海へかえる


 わたしじしん住まいの研究を専門とする身でありながら、日頃、根無し草のような都市生活を余儀なくされている者としては、住処不定の漂海民ときいただけで、一種おさえがたい羨望にかられる。いまや多くの日本人にとって、住宅問題は一生かかって解決せねばならない人生の重い軛となってしまったが、大地から切り離された生活をいとなむ漂海民ともなれば、たかがちっぽけなマイホームを手に入れるだけのために人生の多くの時間と労力と神経までもすり減らすなどという滑稽とは永遠におさらばにちがいない。
 漂海民・・・船を住まいとして風の向くまま気の向くままの漂海生活、と書けば夢想がすぎるだろうか。実際には、常日頃停泊する本拠地をもって、毎日毎日、漁撈と交易に従事するだけの単調な現実がまちうけているかもしれない。波のおだやかな東南アジアの海域にはオラン・ラウト(海の人)とよばれる漂海民が多くいて、なかでもフィリピン南部からボルネオ北岸にかけて居住するバジャウ族が有名である。

杭上家屋

■うまれたての海上集落
やがて周囲にいくつもの住居があつまり、歩廊がわたされて集落に発展する。東マレーシア・サバ州スンポルナ近郊

 ただし、家船生活を旨としたのは過去の話で、いまでは常の住まいをかまえ、定住生活をはじめた者も多くいる。いや、誤解してはいけない。その住居建設はやはり独特で、個人の権利の及ばない浅瀬の海を不法占拠して、かってに高床の住まいを建設してしまうだけの話である。環境にめぐまれれば、やがて類は友をよび、はじめ数棟にすぎなかった住居も集落に発展して、家と家のあいだをむすぶ海上歩廊がわたされる。大きな海上集落になると、こうした歩廊が網の目のように張りめぐらされ、その先ではまるでアメーバのようにあたらしい住居単位がつぎつぎと増殖をつづけていくさまを目撃できるだろう。
 歩廊のあちこちには魚や野菜、日用品などをならべた小さな売店がうまれる。海にとびこむ子供たち、家の前で虱をとりあう女たち、とれたての魚介類をはこぶ者、結婚式の行列、ときには板一枚分の幅しかない不安定な歩廊のうえをひっきりなしに行きかう人びとのあいだにたたずんでいると、都市の雑踏にまぎれこんだかの錯覚にかられる。常にあたらしい要素をうけいれ、めざましいスピードで変態をつづける海上都市の幻影がそこにある。
 もっとも、よくよくかんがえてみれば地表の七割は海なのだから、この広大な空間を住処とするのは先進的ともいうべきじつに理にかなった空間利用の姿であることがわかる。脊椎動物が進化の舞台を地上にうつしてから5億年ちかくになるが、もし人間が海豚のようにふたたび海へと舞い戻る道をえらぶとするなら・・・波のまにまにただよいながら、あらゆる対象が相互浸透するアノミーな空間のただなかで、所有欲や縄張りのために生命を賭して争うことがいかに無益な努力であるかを知ることになるだろう。空間というものが本当は相対的で、まさに時間の関数としてしか存在しえないことを、海はおしえてくれる。

1994-12-20 (Tue) 18:27