談話室
日本の住宅問題を
建築人類学的に読む


『不動産流通』2007.12

 民家の調査をしていると、床下にもぐったり屋根裏にのぼったりするのは、医者が患者に聴診器をあてるのとおなじで、いわば性(さが)のようなものだ。ところが、インドネシアで民家調査をしていたときにはおもわぬ障害に直面した。
 インドネシアには200を超える民族があるといわれている。どの民族もきわめて個性的な民家形式をつくりあげているのだが、どこへ行っても屋根裏に入れてくれないのである。汚い、見られたくない、といった日本ならありがちな理由ではない。屋根裏は家中でもっとも神聖な空間で、おいそれと外部の人間がはいることはできないのだ。
 民族によっても異なるが、特別な資格をもつ男性にかぎるとか、一家の主婦だけにゆるされたといった厳格な規範があり、それ以外の人間にとって屋根裏は禁忌の対象なのであった。ときには屋根裏にのぼる梯子さえ触れてはならないとされていた。そうかといえば、屋根の棟には祖霊が宿っているから、家の中ではまともに上を見上げてはいけないと言われたこともある。

 住宅は人が主役、いかに快適に生活できるかをわれわれは当然のように追い求めてきた。だから、昼さえ薄暗く、風も通らないような民家はそもそも住宅として失格である。しかし、住宅は人間の住まいと考えることが間違いだったら? もしそうだとしたら、人がはいることもできない巨大な屋根裏空間がある理由も、その屋根の下で住人が遠慮がちに暮らさねばならない理由も納得できるではないか。
 調査を通じて私はそんなことを考えるようになっていた。じっさい、伝統的な民家のなかには、男女の領域が厳密に仕切られていたり、儀礼のために普段触れてはならない場所がそこら中にちらばっていた。それは土地の人間にしかわからない。
 文化の理解とは、まずそうした家のなかでの立ち居振る舞いを学ぶことからはじめねばならなかった。さもなければ、私のような他所者は家のなかで身動きすることさえままならないのだ。そのようにして、村の子供たちも、人間同士の関係はどうあるべきかとか、世界はどのようにして成り立っているのかといった知識を、家で寝起きしながら自然と身につけてゆくのである。
 住宅はなによりもまず社会を成り立たせるために必要な制度だった。

 ところが、こうした考えはボルネオの狩猟採集民を調査した際に突き崩されることになった。そこでは住宅のなかに、祖先を祀る祭壇もなければ、男女や老若の相違によって行動を制限する決まり事もなかった。誤解してはいけない。彼らの家は数週間からせいぜい数ヶ月で移動する仮小屋にちかいものだ。だからといって、あまりにも未開な社会が、住まいから文化のしがらみを失わせたわけではないのである。その反対に、彼らは超自然の出来事が住まいのなかで起きることを丁寧にさけていた。
 たとえば出産は、産屋をもうけるか、その余裕がないときには家の床下でおこなった。そして、ある一定期間がすぎるまで、母子は家にあがることをゆるされなかった。
 また、家族の死、誰にでもおきるこの不測の事態に際して、彼らはすみやかに集落を捨てて移動した。無知だからではない。盛大な葬儀をおこなって死の穢れを祓い、祖霊を家に迎え入れてともに暮らすのは、移動したくても移動できない農耕民の姑息な知恵というべきものだからである。

 ところで、家のなかに祖先の居場所も禁忌の空間もなく、出産も死もそこから排除された、この世に生きる人間だけの住まいといえば、それはほかならぬ私たちが理想にしてきた現代住宅そのものではないか。
 考えてみれば、都市に住む大多数のサラリーマンにとって、祖先を迎えいれてまで子々孫々おなじ場所に住み続ける可能性はまずない。現代住宅が狩猟採集民的になるのもうなずける話だ。にもかかわらず、私たちは心のどこかで、農村の住まいこそ本来あるべき拠り所だと考えてしまっている。
 現在、日本人の9割以上は病院で産まれ、8割は病院で死ぬ。しかし、戦後すぐまでは自宅で産まれ、自宅で死ぬのはあたりまえのことだった。施設分娩が半数をこえるのは1960年代のことだし、自宅以外で死ぬ人の割合が半数をこえたのは1970年代になってからである。そして、私たちはいまもかつてそうだった住宅を、生死をともにできる農村住宅のありようを、「自然の住まい」として理想化しているはずである。
 その理由は、「終の住処」が住宅取得願望の根底にあることも一因だろうし、住宅をめぐる制度が定住化を前提にしてきたことにも原因はあるだろう。本来、都市型住宅は社会資産として流通させねばならないはずだが(でなければ、ボルネオの狩猟採集民のようにこれからもスクラップ・アンド・ビルドを続けるしかない)、それを妨げる最大の要因は、住宅の質や流通システムの問題である以前に、私たち自身の心がかかえる矛盾であるようにおもう。