|
月刊みんぱく 14-1 1990年1月号 pp.15〜17 私的民族建築学入門 |
今から一〇年以上も昔の話になる。当時、建築の学部を出たばかりの私は、ある設計事務所に就職して建築家への道を志していた。建築家というのは、特定の個人なり集団なりの意向にしたがい、彼(ら)の存在様態に実在の形式をあたえてやることをなりわいとする人格である。今の私ならそう答えるところだろう。しかし、朝から夜までを製図版にむかい、ひたすら鉛筆をはしらせて形の操作を繰りかえしていても、頭のなかにまっ白な霞がいっぱいに広がってゆくのを感じるばかりだった。やがて建築史の勉強のために大学に戻った私は、フィリピン・ルソン島の山岳民、ボントック族のもとでおこなわれる予定の調査に誘われ、そこではじめてのフィールドワークを体験することになった。 |
■はじめてのフィールドワーク ■M村 ■屋根下地の作成。このうえにチガヤを結びつけ、出来あがったパネルもろとも屋根面に固定する。 |
トタン屋根を望む施主 私たち二名がM村にはいったのは一二月のはじめである。これからわずか二ヶ月のあいだにできる限り伝統に則った仕方で、ボントック族本来の伝統家屋を建設してしまおうというのが私たちの調査の目的であった。家屋建設の打診は事前にしてあったものの、現実の作業の方はなにひとつすすんでいなかった。 |
■棟梁が時期をみて軒先をきりそろえると、フィナルイは技術的に完成する。あとは完成祝いの儀式を待つばかり。 ■ブタは社会的に重要な動物である。泣き叫ぶブタが到着し、はがいじめにされて、ためつすがめつ喉元をグサリとやられる瞬間は儀礼のハイライトだ。 |
儀式にブタは不可欠 つぎに私たちの頭を悩ませたのが、家屋の完成後に供犠されるブタの手配だった。フィナルイの竣工祝いともなればそれ相応の大きさのブタを用意せねばならなかった。Gはそうしたブタを所有していなかったので、町の市場まで捜しに出かけることになった。ところが、そううまいこと適当なブタが見つかるはずはない。Gは持参した金を使いこんだうえ、とうとう手ぶらでかえってきた。村の生活にとってブタは必需品である。それはけっして食用ではなくて、結婚式や葬式といった儀式にブタは不可欠な供犠獣だからである。親の死や子供の結婚という事態にそなえて、村人たちはかならずブタを飼育していた。私たちは村にいる大ブタを数えあげ、そのなかですでに用途の定まっているブタをのぞいて、のこりのブタの持ち主たちと交渉にのぞんだ。交渉はなかなか進展しなかった。なぜならブタを売り払うことは非常に不名誉なこととみなされていたからである。金に困ったある男がようやく私たちの申し出を受けいれ、彼のブタを手ばなす覚悟を決めた。しかし、それでも彼はブタを貸したことにして彼の体面をたもつように求めたのである。 |
■今はなきF。建築現場にやってきては夜間の照明につかうマツの木屑をあつめていた姿が目にうかぶ。 |
手紙の最後の一行 ある日のこと、私はノートを引き裂いて書かれたよれよれの手紙を受け取った。湿りけを含んだような手紙の感触は、一瞬私の脳裏にM村での生活をありありとよみがえらせた。村人たちはよく小学生に支給されたノートを破りとっては、この粗悪な紙片を用いて紙巻タバコを吸っていたのである。手紙の発信者はGであった。私たちののこしてきたくだんの家屋は伝統にしたがい屋根をチガヤで葺いてあった。チガヤが傷むので屋根をトタンで覆いたいからその費用をなんとか工面してくれ、とその手紙は訴えていた。読みにくい筆記体の文章は私を苛立たせた。せっかく古い形式をのこして作りあげた家屋に陳腐な工業製品の上塗りをする手助けを私にしろと手紙の主は要求しているのだ。あるいはかつてのGがそうだったように、また使いの金をくすねて博打に興じたいという程度のことだろう。そう多寡をくくって手紙を読み進んでいた私の目は、最後にさり気無く書き添えられた一行に釘付けになった。父親のFが自ら首を括って死んだ。事実の報告だけが何の説明もなくそう記されていた。 |
|
住まいがある種の文化的強制力の産物であったことはたしかである。だから戦前の民族誌のなかのボントック族のように、ある民族の構成員がすべからく同一の家屋形式を共有していることはべつに驚くに値しない。外套膜から分泌する炭酸カルシウムを利用して、生長とともに拡大する対数曲線の貝殻をつくりあげる軟体動物のように、あるいは、腹部の出糸腺から吐き出される幾種類もの絹糸を駆使して、複雑な巣作りのプロセスを毎日繰りかえしてみせる蜘蛛のように、人間の住居建設も一定のプログラムにしたがって反復される作業の結果にすぎないのであろう。巻貝や蜘蛛が生まれながらの本能によって、自然の領域でやってのけてきたことを、人間は文化という教育の場を通してでなければおこないえなかっただけの話である。 1989.12.05 |