建築人類学者のまなざし2

死を排除した住環境

季刊民族学 93, pp.112-115 (2000)

 ひとりのプロレスラーがなくなり、テレビはその出棺のようすをうつしだしていた。屈強なレスラーたちが汗みどろになりながら遺骸をのせた寝台を階下にかつぎおろしている。突然の死に棺桶がまにあわなかったのは仕方ないとしても、そもそもマンションのエレベーターが棺桶の搬入まで予測してつくられていることは滅多にない。そこで、荼毘にふされるまえにいったん自宅にもどった遺骸は、家族としめやかな別れをすませると、哀惜の情をこめておさめられた棺のなかでふたたび七転八倒、狭い階段をかろうじて上へ下へ傾けつつはこびだされる。私たちの身の回りで日常茶飯におきているこの悲喜劇を、テレビは容赦なくあばきたてていた。




現代住宅からあふれだした機能

 私たちの住環境は、じつは人の死をはじめから排除したうえで成り立ってきたのではないだろうか。
 いまから三〇年ほどもまえに東京の郊外でおこなわれた調査によると、よその土地から移り住んできた核家族世帯のわずか一割程度しか葬式経験がなかった。地域社会とのつながりがうすく、葬式のさいに、たよるあてのない世帯が半数におよんでいる。ふるくから地元にいる世帯とくらべて、仏壇や神棚を所有する割合もすくない(森岡清美『現代社会の民衆と宗教』評論社、一九七五)。
 日本中の郊外という郊外で、おそらくこれと大同小異の状況が進行していたのだろう。そうした世代が高齢化をむかえて、葬式はもはや家庭や地域社会で解決できることがらではなくなってしまった。東京では、約6割が自宅以外の場所で葬式をおこなったという報告もある。近所に迷惑がかかることを、その理由にあげた者が多かった。地域の共同体が家と家との関係を再確認するまたとない機会を葬式は提供していた、と説明されたのはもう過去の話で、葬式は社会をまとめるものから、社会から排除されるべきものへと様変わりした。
 自宅で葬式をおこなうには、住宅をふくめた居住環境にゆとりがたりないのだろう。マンションなどの集合住宅では、はじめから葬式を禁止しているところさえある。そのせいもあってか、バブルの後遺症で不動産市場がひえこみ、リゾート開発のかわりに、全国的な斎場建設のブームがおきているという。高齢化社会の到来で将来を約束されたビジネスだと、参入をねらう業界もあるときく。年中無休、二四時間いつでも注文可能なコンビニ葬だとか。
 現代住宅からあふれだした機能を、これまでたくみに利用してきたのはコンビニ業界ばかりではない。ミイラ化した遺体をまだ生きているとして(気を通す治療の最中だったという)、宗教団体の教祖がつかまったのは、教団が本拠にしているホテルの一室だった。少子化で先ぼそりの確実な結婚式にかわって、ホテル業界がお別れ会などの名目で法事にも触手をのばすようになったのはほんの数年まえ、最近では遺体の搬入をみとめるところまで事態がすすんでいるらしい。いまやホテルがひきうけようとしているのは、住宅という空間におさまりきれずにあふれだした愛と死だったことに気づく。





病院で死ぬということ

 葬儀には死のケガレをはらう目的があるから、自宅で葬式をおこなわない理由のひとつには、自宅で死ななくなったという現実がある。死を病院でむかえることがあたりまえになったのはそれほどふるい話ではない。自宅で亡くなる人の割合が半数をきったのはつい一九七七年のこと、それが現在では七割以上の人が病院で死ぬ(厚生省『人口動態統計』)。
 おかしなことに、病院のほかに私たちの死に場所はないにもかかわらず、死ぬために病院に行くとかんがえる人はいない。生にたいする過剰なまでの執着と希望の背後に、死はいくえにもおおいかくされているからだ。山崎章郎は、臨床医として末期ガン患者の終末期医療にたずさわるかたわら、「普通の病院は、自分の真実を知ったうえで、自分なりの人生を生き抜きたいと考えている自立的な人たちにとっては、最悪な場所でありつづけるだろう」と書きつけ、「決して人間の死に場所ではなく、最後まで人間らしく生き抜く場所」としてホスピスの可能性にかけてゆく(山崎章郎『病院で死ぬということ』主婦の友社、一九九〇)。
 生きるための場所である病院では人生を生き抜くことができず、反対に、死をまえにしたホスピスでなら人間らしく生き抜くことができるとは、なんという逆説だろう! ホスピスは、遠からず、そして確実にやってくる死を共有することで、多様な人生をあゆんできた人びとが最後につどい、ともにいまを生きていくための場所になる。たいせつなことは、「自分は決して孤独ではなく、自分を愛し、信頼し、共感してくれる人たちがいて、自分もまたそれらの人々を愛し、信頼しているのだということを実感できる」(山崎章郎、前掲書)ことにある。そこに、家族や、住まいのうしなわれた幻影を見るのはまちがいだろうか。
 ホスピスにもとめられているのはホーム・家庭のイメージであり、ホスピスは「家で死ぬということ」に代替できる第三の空間になりうる。山崎章郎との対談のなかで、米沢慧ははっきりとそう断言している(山崎章郎・米沢慧『ホスピス宣言』春秋社、二〇〇〇)。ホスピス(緩和ケア病棟)が病院の一部ではなく、病院がホスピスの一部にあるとかんがえることができたとき、はじめてホスピスは、医療のたんなる延長線上にあるのではなく、さまざまな人びとが互いにささえあう「コミュニティとしてのホーム」のモデルであろうとしてきたことがわかるだろう。
 ところで、多くの人が自宅で死ねずに、病院で死をむかえるのは、死ぬために医者の宣告が必要だというじつにやっかいな理由がある。臓器移植法が施行され、脳死判定がともなうようになってから、死はますます容易ならぬ、私たちの手のとどかぬところへ行こうとしている。
 仏教の影響を大きくうけた日本人の死生観では、肉体がほろぶことをみとめても、なおも魂の不死や再生をしんじることができた。家の秩序は現実に生きつづけるそうした祖霊の系譜によってまもられていたのだ。祖霊の存在や加護をしんじられなくなったときから、本当の家の危機がはじまっていた。いま現代医学は、魂は存在しないが、臓器移植によって肉体は再生できる、と主張する。あるいは、これは現代の宗教かもしれない、とおもう。宗教であれば、いくら議論をしても、さいごは信仰の可否の問題にゆきつく。いまにも目をさましそうな、それでも医者に脳死を宣告された病院のベッドによこたわる人間と、とっくにミイラ化した、それでも教祖が生きているというホテルのベッドによこたわる人間のあいだには、きってもきれない関係があるようにみえる。





変貌するお墓のこと

 師走なかばの寒い雨の日に、九五歳になるという老人がただ一人傘一本も持たずにとぼとぼと町をあるいていた。柳田国男は「家永続の願い」の冒頭を新聞に載せられたそんな挿話から説きおこしている(柳田國男『明治大正史 世相篇』一九三一)。警察が保護をくわえると、老人の所持品は風呂敷に背負うた四十五枚もの位牌があるばかり。家屋敷をはなれた漂白の身でも、どうしても祭らなければならない祖霊があった。死んで自分の血を分けた者から祭られねば、死後の幸福は得られないという考え方が、われわれの親たちにはあり、いつかは行かねばならぬあの世の平和のために、家の永続はなによりも必要だった、と柳田はつづけている。
 現在、日本全国でおよそ二万人のホームレス(野宿者)がいる(一九九九年一〇月厚生省概況調査)。万策つき行き倒れた屍の行きつく先は、警察署の死体安置室。検死をすませ、身元不明か、あるいは遺族の引き取り拒否にあった遺体は、「行旅死亡人」(自殺、事故死などとあわせて)として、市や区の係官の手で斎場まではこばれ、簡単な葬儀ののち火葬にふされる。遺骨は、毎年の合同慰霊祭まで安置され、めでたく無縁仏となって埋葬される。もちろん位牌はない。
 いまでは、位牌をかかえてさまようかわりに、老境にたっしてから家庭をすて、みずから路上生活にのこりの人生をたくす者がいる。共通の目的を見いだしえない家のなかでは、濃密な家族の人間関係がときとして苦痛をしいるだけの足かせになる。
 新聞はといえば、電車の網棚やホームに置き去りにされた遺骨について報じている。埋葬許可証をはがされた身元不明の遺骨が忘れ物にふえてきたのだという(日本経済新聞 一九九八・九・一九)。
 夫の両親と一緒になることを嫌がる妻はいまも多くいる。子供に迷惑をかけたくないからといって購入にふみきる夫婦も多いという。日当たりのよい東南角地の区画は人気がたかく、どうせなら建て売りでなく自分らしいものにしたいとのぞむ者も多いそうだ。マイホームの話ではなく、お墓のことである(小谷みどり『変わるお葬式、消えるお墓:最後まで自分らしく』岩波書店、二〇〇〇)。
 ふだん私たちが目にする家の墓の制度が確立してからたかだか一〇〇年、戦後の新民法のもとで家父長制度は否定されたのに、死後の世界はいまもたゆまず家をひきずっている。財産の相続も夫婦制家族を単位におこなわれるようになった。けれども、墓だけは分与してしまうわけにはいかず、いまも法律上は相続人(多くは長男)をさだめて末永く管理をゆだねるたてまえになっている。
 それでも一部では、生前契約や自然葬(散骨)など、現代人の死生観にふさわしいあらたな埋葬がこころみられている。ただし、ひとつわすれてはならないことがある。自分の死体を自分では処理できないという、あたりまえすぎる事実である。家族のありようはいろいろに想像できても、骨や魂のゆくすえにまで心をくだかねばならないのだとしたら、世代交代の仕掛けのない家族は、成員の死によってたちまち行き詰まってしまう。子供がいなくても永代供養をしてくれる共同墓を地方のある寺院がつくったところ、全国から予想外の応募があったのだという。いま、宗教にもとめられているのは、あの世への信仰というよりも、本当のところは、あの世の軛を開放してくれることのほうではないかとおもう。さもなければ、せっかく私たちの手にしつつある「家族」の自由度はおもいのほか小さなものになってしまう。





定住か移動か

 人間の家づくりと動物の巣づくりの大きなちがいは、人間が学習によって家を建てるのにたいして、ほとんどの動物はそれを遺伝子にくみこまれた本能からおこなう点にある。つまり、繁殖期に巣づくりをする動物たちは、生まれそだった親の巣を捨てて、みずから巣づくりにはげむように運命づけられているわけである。それにたいして、いわば人間だけが親の建てた家にそのまま住みつづける芸当をやってのけた。
 これは動物界には見られない人間だけの文化といってよい。狩猟採集をおこなう移動民のなかには、家族の誰かが死ぬと家を捨てて移動する風習をもつものがある。こうして集団が移動をくりかえしているかぎり、家屋の世代交代が問題になることはない。
 たしかに定住生活は、都市や国家を生みだすきっかけになったけれども、じつは人類にとって、あまりありがたくない選択肢だったのではないかという意見もある。定住の代償にひきうけねばならなくなった問題の多く - ゴミや排泄物の処理、安定した食料の確保、成員間の不和や葛藤をふせぐ社会規範や権威の確立、不安や災いをコントロールするための儀式や呪術、それに、死者とも共存する仕掛け - は、集団が離合集散しながら移動していれば未然にふせげることばかりだからである(西田正規『定住革命』新曜社、一九八六)。
 葬儀をおこなうことで死のもたらすケガレをはらい、死者の霊とも折り合いをつけながらやっていこうとするのは、定住がもたらした住まいの特徴といえるだろう。人間はみずからの住まいで生まれ、そだち、そして死ぬ。じつのところ、そうした発想の根底によこたわるのは、祖先をむかえいれることで、何世代にもわたってうけつがれてきた農村民家のイメージである。高度な医療設備をそなえた病院をあえて避けて、家族のいる自宅で最後をむかえたいとねがうことも、夫とともに在宅分娩で子供をもうけようとすることも、その延長にいつのまにか焦点をむすんでしまう。
 しかし、現代の都市のように人びとの入れ代わりがはげしい社会で、子や孫の代までおなじ家屋に暮らしつづけることに、いったいどれだけの現実味があるだろうか。産業化社会の申し子ともいえる核家族の特徴(「家の移動と職業の選択と自由な婚姻」)は、おそらく情報化社会のなかでも変わることはないだろう。それにもかかわらず、私たちは、あたかも家屋が朽ちることなく建ちつづけ、家族がいつまでもそこに住みつづけるかのようにふるまってきた。そうした夢がさめずにいられたのは、日本の現代住宅が、せいぜい三〇年程度で解体される賞味期限つきの消耗品として、市場におくりだされてきたからにほかならない。死者のための居場所がそこに見つけられなくともなんら不思議はない。あるじの死をどうむかえるかなどは、もとよりかんがえる必要がなかったのだ。
 住宅も消費財なのだから、住宅メーカーがつぎつぎと趣向をこらした新商品を開発するのは、しごくまっとうな営業戦略にちがいない。はやりの三世代住宅という商品は、けっして三世代先の将来をみこした住宅ではなく、いまこの瞬間の家族構成をうつしとった住宅という意味である。なぜなら、建物の構造がいくら丈夫であっても、ライフスタイルが変われば、住宅として満足に機能を果たすことができなくなる。げんにそういう理由で、伝統的な民家の多くは寿命をまっとうせずに建て替えられてきたのだから。そして、皮肉なことに、それは産業化社会に必要な労働力としていつでも使い捨てされる人間に、まことにふさわしい使い捨ての住まいだったということになる。




都市移動民らしい人生

 幸か不幸か、日本の木造住宅は、スクラップ・アンド・ビルドを可能にし、祖先と共存する定住民の空間と、祖先を捨て去る遊動民の生活とをふたつながら両立させてくれた。ただそのために、家づくりに蕩尽される資源と労力とは、私たちの人間性をそこなうほど大きな脅威になってしまったようにみえる。「木の文化」をほこってきた日本も、いつのまにか世界有数の木材輸入国なのである。
 二〇〇二年春までには、建設廃材のリサイクル法が施行される。使い捨ての住宅生産はもはや市民権をうしない、住宅にも保守と再生がもとめられる時代がやってくる。いくつかの住宅メーカーでは、一〇〇年以上長もちする百年住宅の開発にとりくんでいる。躯体構造の強化と間取りの柔軟性が開発の要点にあげられている。
 けれども、そこにかつての民家の面影をもとめているのだとしたら、日本人すべてがさらに手にあまる負担を背負いこむことになってしまうだろう。特定の血縁集団が数世代にわたってひとつの家屋に住みつづけることを、都市的生活は依然としてゆるさないからだ。百年住宅の前提は、自動車のように徹底的な商品として不特定の家族のあいだを流通することにある。
 住宅という場をある期間共有する集団のことをとりあえず「家族」と呼ぶしかないように、住宅自体も、そうした「家族」が人生の一時期をそこでともに生活する場になるべきなのだろう。目のまえの現在をかけがえのない時間としてともに生きること、それこそ、たえず旅の途上にある都市遊動民らしい人生のおくり方なのだとおもう。フランスの移動民マヌーシュの経験する時間について、つぎのようにしるされている。

移動は、けっしてある地点に到達することを目的としているのではなく、そのあいだの出来事との遭遇が重要な意味をもっている・・・マヌーシュは移動中、現実の時間を心理的に延長しようとする。移動中の景色の変化と出会うことを新鮮に受けとめようとする。つまり、多くの出来事を一日のかぎられた時間内に盛りこもうとするのである。こうして現実の時間経過のうえに、体験する出来事の時間をつめこんで、多くのよろこびを実感している」(大森康宏「大地をかける家馬車」佐藤浩司編『住まいをつむぐ』学芸出版社、一九九八)。

 いまを生きず、将来のためにのみ生きる人間にとって、死はたんなる終点にすぎない。そうした現代人の心の不幸に、野田正彰は「生き急ぐ人々」という熾烈な言葉をなげかける。ひとつの学校にはいると上級学校の準備をし、高校生や大学生になると就職の準備をする。会社にはいれば、係長、課長、部長といった職階制のレールを前倒れではしり、家のローン、子供の進学のための貯金、老後のゆとりのための保険、生命保険、差額ベッドのための保険、葬儀のための積み立て、生前墓の購入。まるで将棋倒しのように、人生を駆け抜けるのだという(野田正彰編『現代の世相 4 あの世とこの世』小学館、一九九六)。
 旅が目的地、つまりは死をめざすだけのためにあるのなら、できるかぎりみじかい時間で人生はすんでしまったほうがよい。でも、そうではないのだから、マヌーシュの繰る家馬車の周囲をゆっくりとながれさる時間のように、鳥や魚、ハリネズミ、植物の実や人びととのかたらいにみちたものでありたい。

 みずからの住まいで生まれ、みずからの住まいで死ぬ。それは一種の幻想である。かつての農村を注意ぶかく観察するなら、出産や死を自宅でむかえる例とおなじくらい多く、わざわざ産屋を建てて出産し、死人が出れば喪屋を建ててなかにこもる例を見いだすことができる。出産も死もケガレとみなされていたから、できれば人の住む家から遠ざけておきたかったのではないかとおもう。やむをえぬばあいに、儀礼や物忌みで浄めをおこなった。山や谷や岩窟に死体を遺棄する習俗もひろくおこなわれていたし、生きたまま年寄りを棄てに行く地方もあった。住宅を個人の財産とかんがえることのできた希有の時代が、住まいと人間のあまりに刹那的な依存関係をつくりだした。





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