建築人類学者のまなざし1

空間の変容と人間

季刊民族学 92, pp.114-117 (2000)

 ホーチミンの町でインターネットカフェを見かけたのは数年前のことだった。ベトナムがドイ・モイ(刷新)政策に転じてから10年あまりがたち、それでも、目抜き通りに点々と建ちあがりはじめた高層ビルには、まだどこかしら場違いなよそよそしさがあった。町にはタクシーとならんで客引きの輪タクがはしりまわっていた。
 ベトナムの町には、かならずといってよいほどカフェがある。沿道に向けて店のまえに一列に低い椅子をならべ、ベトナム流にドリップした深煎りのコーヒーを飲ませるのである。たいていの店には若者たちがあふれ、強烈な音のシャワーを背後からあびながら、せわしない往来のかなたに、みな一様に物憂げな視線をおくっていた。わずかばかりの金銭ほしさにあくせく働くのが恥ずべきことででもあるような、そんな無言の圧力を店の外で感じてしまうほど、一種不思議な雰囲気をただよわせているのだった。
 そのとき、私は看板につられて、カフェというよりも、高級レストランにちかいたたずまいの店内にはいった。冷房のきいた薄暗い店の奥に東南アジア製のパソコンが数台ならび、かなり割高な飲み物一杯と引き替えに、電子メール1通分が無料、というような料金システムだったとおもう。昼下がり、私のほかに客はいなかった。
 ともかく、ベトナムのカフェでコーヒーをすすりながら、目のまえのコンピュータから日本のサーバーにアクセスし、自分のメールボックスを確認してやりのこした原稿をおくる、といったことがなんとか実現可能な世の中になった。電子上に国境はない。文書がどこから送られたものであろうと、私自身の居場所は問題にならない。このような世界のなかでは、飛行機にして数時間の旅程と、空港で受けねばならない入国審査は、ベトナムと日本のつながりをさまたげる物理的な障害にすぎなくなってしまう。船に乗って海外に脱出するボートピープルさながらに、国民国家という枠組さえもなしくずしに解体しかねない危険をはらみつつ情報革命は進行している。




ゆらぐ空間

 これとよく似た感覚にとらわれる機会がめだってふえてきたようにおもえる。空間との間合いがうまくとれないでいるもどかしさ、あるいは、空間が人間同士のむすびつきを保証する要件ではなくなってしまうことへのおそれ、と言ったほうがよいかもしれない。
 交通、通信手段が飛躍的に発達したせいで、空間上の距離がものごとの決定要因でなくなりつつあることはうたがいようがない。かつて人間たちはひとつの空間を共有することで、はじめてなにがしかの交渉をもつことができた。今、コンピュータのネットワーク上にもうけられたフォーラムは、複数の人間の交渉の場ではあっても、はじめから実在の空間を背景にするものではない。携帯電話のような携帯メディアの急速な普及をみると、これまでの人間関係がいかに空間にしばられた窮屈なものだったかがよくわかる。こうした空間の意味の変化は、人間同士のつながりにあらたな可能性を切りひらくと同時に、これまで空間によることで維持されてきた社会のまとまりをかぎりなく拡散させてゆくにちがいない。
 たまたま電車のコンパートメントに乗り合わせていた乗客に電話がかかってくる。いまではごくありふれたこの光景のなかに、あたらしいメディアのとりもつ人間関係によって無惨にも浸食された空間の姿がうかびあがる。空間へこめられたあわい期待は去り、所詮は無関係な人間同士がひとつの空間を共有していたという事実だけが、しらじらしい余韻をその場にのこしている。
 私たちは心のどこかでひそかにおそれているのではないだろうか。こうして無力になった空間が、じつは私たちの最後の拠り所である家族の存在基盤もおびやかしているのではないかということを。
 家族の意味についてかんがえさせる凶悪で悲惨な事件がつづき、そのたびに世論(新聞やテレビに代表される、感情的なおとしどころをたえずもとめる意見)はいつも紋切り型に家族の崩壊をうれい、特殊な家庭環境に責任があるとばかりに言いたててきた。こうした事件で、地域社会や近隣住人が連帯責任を問われたりはしないし、国が謝罪をもとめられることもない。それなのに、家族だけが依然として運命共同体のくびきを背負わされたまま、社会のかかえるあらゆる矛盾をその最底辺で一手にひきうけている。現実の家族は、そのような共同性をとてもまっとうできないほどよわよわしく、目的をうしなったかりそめの集団でしかないというのに。ひとつ屋根の下でともに生活し、家族という共同体の一員のはずだった人間のなかに、いつのまにか理解のできない他人がきざしている。携帯電話の経験は、そうした家族関係をもはや自明のこととして、私たちのまえになげかけている。





拠点としての家族

 家族について悲観的に書きすぎたかもしれない。「家族の危機」はいまさら言いたてるまでもなく近代家族の宿命なのだろうし、それにもかかわらず、私たちは家族を元手にかんがえてゆくよりほかに仕方がないのである。
 いまから七〇年ほどもまえ、頻発する親子心中に家庭の孤立をみた柳田国男は「家永続の願い」と題する一文を書いている(柳田國男『明治大正史 世相篇』一九三一)。自分が死にたいために、最愛の者を殺さねばならぬほど、親がわが子におもいをこらすようになった原因は、家の移動と職業の選択と自由な婚姻にある。そう柳田は指摘した。産業化がすすむなかで、故郷をなくした俸給生活者のむれが、社会とのつながりを見いだしえないまま、濃密な家庭愛をはぐくむようになる。そこでは、家の永続にかわって、わが子の幸福な将来ということが、もっとも大切な家庭の論題になっている。戦後の新民法のもとで家父長権が解消されるよりだいぶ以前の話である。
 親子心中は大正末から昭和にかけて急増した。ほぼ一日に一件のペースで親子心中にはしる家族があるのは、日本特有の社会現象とされてきた。「私が悪いのです」「皆に対して済まない」と遺書にしたためる内罰性には、「頑張れ」という声援に必死でこたえるオリンピック選手の悲壮感とおなじ論理構造があると、岩本通弥は言う。個人は集団の思いを背負って全力をそそぐ。企業や役所は、身内をまもるために平気で嘘を言う。「日本にはどうやら、家族や身内といった仲間集団の、調和や一体化を至上とし、その信頼を裏切らないという価値規範が、もっとも尊重される絶対的で不可侵な倫理として存在している」(岩本通弥「血縁幻想の病理:近代家族と親子心中」『都市民俗学へのいざないI 混沌と生成』一九九一)。
 けれども、そのような現代家族はいったいなにをめざして集住しているのだろう。家業をになう集団であったころの家族(世帯)には、たいてい血縁以外の者がふくまれていた。家業の永続が家族であることの存在理由だったから、それでなにも不都合はなかったのである。ところが、家族は、明確な目的をうしなうかわりに、ひたすら血のつながりという血縁幻想を集団にもとめるようになる。たしかに、集団の定義は明確になったが、だからといって、集合の目的がそれで説明されたわけではない。そのため、家族であることには、いつでも実存的な懐疑がついてまわる。私はなぜある家族の一員でありつづけねばならないのだろう?
 自立することのできない子供や老人を共同でささえるために家族という集団の存在意義があるのだとしても、なぜ家族がそうしなくてはならないかを説明するのはむずかしい。建築家の山本理顕はそのように問いかけている。「愛情があるから、子供の世話をして、老人の面倒もみて、洗濯もして、御飯もつくって、掃除もして」という建前になっていても、「"夫婦の愛情"とやらが破綻すると、家族という関係の全てが破綻するような仕組みになっている」というのだ(山本理顕『細胞都市』一九九三)。
 夫婦や親子の間柄にたいする過度の期待と、その反動としての夫や妻の失踪、親殺し、子殺しという現象は、日本の家族に表裏一体のようにつきまとってきた。そうした家族の桎梏は解消されぬままに、家族のになってきた機能、とりわけ「主婦」の家事労働の多くは、家屋の空間からあふれて、いまではファミリーレストランやコンビニエンスストアといった外部のサービスの手にゆだねられている。社会の情報化がそうしたながれに追い打ちをかける。家屋を共有しているという以上に、家族の存在理由を見いだすことがますます困難な社会状況になってしまったのである。
 家族はもはや個人の選択するライフスタイルのひとつや人生のエピソードにすぎない。こうして家族に属するということがかならずしも自明でも必然でもなくなった社会を、落合恵美子は「個人を単位とする社会」と名づけている。そこでは、家族に属しているか否かで個人の人生が変えられたり、家族が維持されるようにとりわけ保護されることがない。だから、介護が必要な弱者は、家族を経由することなく、直接社会から介護の手をさしのべてもらうことができる(落合恵美子『21世紀家族へ 新版』一九九四)。
 ところが、そうやって個人が社会と直接向きあうようになったときに、やっぱり空間だけはそこに手つかずのままのこされている。そのとき、私たちはさらに大きな疑問にさらされていることに気づくだろう。個人が特定の社会に属していることは、個人が特定の家族に属していることとおなじくらい、自明でも必然でもないのだから。





空間の危機

 空間が重荷にかんじられるのである。家族のことだけではない。たまたま日本という国土の一員に生まれたばかりに、日本の歴史や文化をになわされたり、日本人の精神を期待されたりすることに、空間にそこまで決定権をにぎられていることに、にもかかわらず個人の窮地をすくう手だてのそこにはないことに、である。
 空間にたいするこの感覚は、私たちの日常に閉塞感を生み出しているだけではない。最近の民族学(人類学)をかたるのに欠かせない言葉――グローバリゼーション、トランスポジション(ポジションの転移)、ディアスポラ(ホームへの帰属意識でむすばれた離散状態)、クレオール(異種混交)といった概念が、すべて空間的な越境のイメージを引きずっていることからも問題の根のふかさをうかがい知ることができる。
 二〇世紀の前半には、進化、進歩、発展、成長、停滞、革命といった時間にかんする概念が時代を牽引してきたのにたいして、「われわれの時代はこうした空間的なメタファーによるのでなければ、自分たちがいま、どこにいて、どこに行こうとしているのかを記述することができない」(吉見俊哉「空間の政治、あるいは都市研究とメディア研究の対話をめぐって」『現代思想』一九九九年一二月号)。空間はいまや時間に隷属するものではない。世界中の場所はまさに同時性を生きているのである。私たちの世界のかかえこんだ困難をときあかし、その変革への手がかりをつかむ鍵が空間にある。そんな予感に時代は敏感に反応している。
 野球やサッカーのような団体競技では、選手のひとりひとりが異なる役割をになっている。個人がスタンドプレーを発揮する機会はなくても、だからといって不平をもらす者はいない。みずから選択したチームのなかでは、だれもが精神的にみたされた時間をすごすことができるからだ。しかし、現実の社会においては、成員はいつでも自発的にゲームを演じているわけではない。かつて共同体はしばしば宇宙論的な物語のなかで世界と人間の起源をあきらかにしてきたが、それは、共同体の一員として産まれてくる個人の実存的な疑問に、共同体みずからの起源神話をもってこたえようとしてきたからである。この宇宙のなかで、すべての成員は運命論的な意味をあたえられ、かけがえのない存在としての自己を実現してゆくことができた。だから、神話的な時間の観念がうしなわれたとき、個人のいだいた不安は、そのまま共同体の存在基盤さえもゆりうごかしていった。
 ベネディクト・アンダーソンは、そうした古典的共同体の危機に乗じてつくられることになった国民国家を「想像の共同体」と名づけている(B・アンダーソン『想像の共同体』白石さや・白石隆訳, 一九九七)。ナショナリズムは、古来の文化概念が矛盾をかかえて人びとの精神を支配することができなくなったときに、その場所ではじめて成立し、現実には会ったこともない人びとをイメージのなかでむすびつけて、あらたな想像の政治共同体をつくりあげることに成功した。ナショナリズムは一八世紀の末に人工的につくりだされたもの、というアンダーソンの議論は、国民国家に、あらかじめ空間を画定することでうまれた空間共同体という位置づけをあたえたのである。
 こうして、現在私たちの生息する空間と社会とは、たがいがたがいを定義づける弁証法的関係でむすばれている。空間の危機の意味は、このような空間と社会との相互交渉がうまくはたらかなくなった状況をものがたるのだろう。
 私たちは、自分自身の存在の意味についていつも問いかけをいだいている。だから、なぜ自分があの社会ではなく、この社会の一員として生まれてきたのかということについて、社会はいつも積極的な意味づけを期待されている。あらゆる社会は、宗教や王権や神話によって、そしてのちにはナショナリズムをつうじて、その成員の存在に意味をあたえようとしてきたのである。けれども、もし、そうした社会のなかで生きていることに、社会が十分な回答を用意できなくなったとすれば、そのとき個人は、社会とそこに生きる自分自身のみたされない存在理由のために、精神の渇きをかんじるようになるだろう。
 新興宗教や民族的団結、ときには国家内国家の建設に人が夢をたくすのは、そうすることが、現実の国家によることでは得られない個人の実存への回答をあたえてくれるからにほかならない。すくなくとも、個人の判断で選択された共同体のなかでなら、団体競技に参加する選手がわかちあうのにも似た、みたされた至福のときをすごせるはずだ。けれども、どのような共同体も、それが永続するかぎりは想像の共同体のジレンマから自由でいられるわけではない。あらたに共同体の成員として生まれてくる彼らの子供たちにとって、その社会は依然として解決されない実存的不安の対象として存在してしまうからだ。そして、その隙間にはいつも権力が介在しはじめる。
 文化は利害の共同体をつくりはしても意見の共同体をつくるものではない。それは議論の場を保証し、議論を方向づけることはあっても、盲目的な信者のむれを再生産する装置にはならない。社会についての誤解は、共通の目的や価値観をもった人びとの集合をそこに期待しがちなことにある。
 車窓をすぎゆく景観は、ゆっくりとまじりあう遷移地帯をもっている。文化もまた境界線によってくっきり色分けされた地図のようなものとかんがえられているわけではない。宗教的な想像共同体においては、「社会集団に関する基本的概念は求心的、階序的であって、境界によって定義される水平的なものではなかった」とアンダーソンも指摘している。宇宙論的な世界のもとで統合された社会をのぞむなら、想像の共同体はふたたび境界をといて、真の中心と周縁のダイナミズムをそこにみちびくしかないわけである。
 イスラム都市の特徴は、全体計画された最終形にむかう西欧の都市とはちがっている。そうした都市空間のイメージから、山本理顕はきたるべき共同体のありようを「細胞都市」という言葉で表現している。
 「都市という全体像が先にあって、各々の建物がその全体像の部品でしかないというような計画とは違って、むしろ部品の側に優先順位がある。都市という有機体へ至るための因子が、それぞれの建物という細胞のなかに埋め込まれている」(前掲書)。
 いま必要なのは、国や社会の責任を問うことでも、全体計画をやりなおすことでも、あの共同体をやめてこの共同体をつくることでもないということだろう。そうした方向ではなく、私たちの手にのこされた最後の、あまりにも痩せほそった想像の空間共同体、家族と家屋を元手にした、いわばなしくずしの全体改革なのだとおもう。





民族学のフロンティア

 かつて民族学者たちは、未開社会にのりこみ、そこに住む人びとが文明社会に匹敵する独自の文化をもつと主張することで、人類を相対化してみせてくれた。私たちは、そうした報告に接することで、ちょうど恋愛小説を読んで異性を理解するような具合に、一歩一歩、人間や社会のなんたるかを学習してきたのである。家族とはどういうもので、家屋がなかったら人はいったいどうなるのか、そんな素朴な疑問に、どんな理論によるよりもあざやかに、ひとつの啓示をあたえてくれるときがある。一九三八年にブラジルのナンビクワラ族の調査をおこなったレヴィ=ストロースはこんなことを書いている。

暗い草原のなかに、いくつもの宿営の火が輝いている。人々の上におりてこようとしている寒さから身を守る、唯一の手だてである焚火の回りで、風や雨が吹きつけるかもしれない側に、まにあわせにヤシの葉や木の枝を地面につきたてただけの、こわれやすい仮小屋の陰で。そして、この世の富のすべてである貧しいものがいっぱいに詰まった負籠をわきに置いて、彼らと同じように敵を意識し、不安にみちた他の群れが、散らばる大地にじかに横たわって、夫婦たちはしっかりと抱きあい、たがいがたがいにとって、日々の労苦や、ときとしてナンビクワラの心にしのびこむ夢のような悲しみにたいする、ささえであり、慰めであり、かけがえのない救いであることを、感じとるのである。(レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』川田順造訳)

 そして今、民族にたいするこうしたういういしい感情を胡散臭いとおもわずにいるためには、あまりに多くのことを人類は知りすぎてしまったのかもしれない。現在では、調査者が調査対象を一方的に観察し、その成果を好きなように要約して自分たちの仲間に向けて報告する、といった行為そのものにかくされた権力構造までが批判の矢面に立たされている。その結果として、民族学の調査は、きわめてあやうい政治的なバランスのうえを綱渡りしながら、人間や社会の理解とはずいぶんかけはなれた着地点をめざして敢行されている印象をうける。
 「文化」とは、ある社会に属する人間の獲得した知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣習などの総体であると、一九世紀の末には自信をもって定義することができた(タイラー『原始文化』)。けれども、今やひとつの社会を設定して、そのなかにあらゆる面で統合された人間像を想定することのほうがよほど現実味を欠いている。私たちは、畳の部屋のある洋風住宅に寝起きし、ブランドものの衣装を身にまとって、エスニック料理に舌鼓をうち、クラシック音楽のコンサートに行って、そこで日本人作曲家の作品を聴く、といったことをごく自然におこなっている。日本というせまい国土のなかですら、そこに住んでいるのは純血種の「日本民族」(果たしてこの言葉の厳密な定義を述べられる人がいるだろうか?)ばかりではない。要するに、「文化」や「民族」は、もはやある個人の人格を定義するにはきわめて不十分な、否、むしろこのましくない言葉であるとさえかんがえられるようになっているのである。
 そうした意味では、人間の理解にさらなる地殻変動をひきおこす未知の領域は、この地球上から、そして民族学者のまえから、永遠に姿を消したと言うべきかもしれない。しかし、だからといって人間や社会がもはや理解しつくされたかと言えば、事態はそれほど単純ではない。
 人の細胞内にあるミトコンドリアDNAの塩基配列を分析すると、人類の祖先はおよそ一五~三〇万年前に生きていたたったひとりの女性にたどれるという。人類はそのような起源をもつ家系の一員として、現在見られる多様性を開花させてきたというわけだ。遺伝子の目から見える世界は、いつも地球上の生物をひとつの運命共同体に向かわせる。そして、それこそ、民族学者がながいことかかって積みかさねてきた知識の背後に一貫してながれる通奏低音だったのではないだろうか。遺伝子の有機的な集合が多様な生物の種をもたらしたのとまったく同様に、個々の人間の集合によって形成された多様な社会が、個人というかけがえのない存在をいわば弁証法的につくりあげている。私たちは一〇〇年このかた、民族のなかにそのような社会や個人を夢みてきたのではなかったろうか。
 けれども、高度に発達した情報産業やバイオテクノロジーのなかで、私たち自身のよってたつべき人間像はますます混迷をふかめながら、私たちの手の届かない領域につきすすんでいる。人間の遺伝子の全容を解明しようというヒトゲノム・プロジェクトの成果は、いずれ生物学的還元主義へと個人の人格をみちびきかねないだろう。人口生殖、クローン、臓器移植など、つぎつぎとくりだされる医療技術の革新は、これまでの人間存在にとってまったく未知の世界をひきよせている。
 そのいっぽうで、人間の生物学的な生活圏は、いまだにかぎられた空間からはなれようのないものだ。私たちは、多かれ少なかれ土地にしばられ、民族や家族を心の拠り所にしながら生きている。情報、医療の進歩をささえる多国間の共同プロジェクトも、裏をかえせば、国家の権威の縮小ではなく、その威信をかけた覇権あらそいの結果としておこなわれている。
 こうして相反する潮流のせめぎあうただなかで、私たち人間はいったいどのような存在として生き、社会はどのようなものとして私たちをつつんでくれるのだろうか。ちっぽけな自我をかかえて、たったひとりで生きてゆくかわりに、たがいがたがいにとって、ささえであり、なぐさめであり、すくいであるような関係を、どうすれば実現してゆけるのだろうか。人類の行く手にひろがる茫漠たるフロンティアは、いまも民族学(人類学)の果敢な冒険をまちうけているのではないだろうか。




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